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The Heart of Japan

京都 五山の送り火

京都には葵祭、祇園祭、時代祭と並んで、五山送り火という京都の代表的な伝統行事があります。五山の送り火は地元では通称「大文字」と呼ばれ、毎年8月16日、夜20時から京都の町のライトが一斉に落とされ、五山の送り火が灯るという幻想的な行事です。そして、私たちはお盆の最初に迎えた先祖の御霊をあの世へ迷うことなく送り届けるのです。

 

 

 

京都市を取り巻く五つの山々に、文字や絵をかたどった巨大な焚き火が灯されていきます。これらの焚き火は、「右大文字」、「左大文字」、「妙法」と呼ばれています。他の2つの火はそれぞれ船と神社の門の形をしており、「舟形」と「鳥居形」と呼ばれています。古くから京都の人々の心に深く残り続ける行事ですが、五山の送り火の起源については多くの説があり、13世紀にルーツがあるとも言われています。

地域によっても様々な方法はありますが、一般的に、お盆の最初にまず先祖の魂を迎えるため、各家で迎え火を燃やします。つまり、家に帰る途中で先祖の魂が道に迷わないように日をたきます。お仏壇には果物、お食事、お菓子やお茶などを添えます。そして、お盆の時期は、先祖と一緒に過ごすのです。

送り火はお盆の終わりにこの世界に戻った先祖の魂を、向こうの世界へと導くことを目的とします。そして、五山の送り火が写しこまれた水を飲むと、病気を予防するとも考えられています。

このイベントは京都の夏の終わりであり、まだ非常に暑いですが、秋のシーズンに移る準備ができています。

わたくしごとですが、小学校の時によく大文字に植物採集やマラソンを目的に登っていました。なのでとても大文字は私たち京都の人々の日常に密接につながっています。残念なことに、最近の京都は高いビルが増え、昔のようにどこからでもこの大文字が見えるということはありません。

残念ながら今年もCOVIT-19のため行事は縮小となります。私はこの伝統行事が耐えることなく、次の世代に引き継がれることを切に願います。

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五月晴れ

5月の晴れはやや強い日差しと、緑の強い薫りの空気に包まれる。大陸から飛んでくる黄砂の影響が少なくなり、からりと晴れる。現在の日本人はこれを「五月晴れ」という。

しかし、五月晴れのこのイメージは明治以降に着いたもので、本来の五月晴れとは旧暦(太陰暦)の6月の晴れのことである。太陽暦と太陰暦ではひと月ほどの差があるため、旧暦の五月は現在の6月ごろである。 

旧暦の5月は北半球がもっとも太陽のエネルギーを受ける夏至のころになる。このころの日本は亜熱帯性の高気圧の北上と、流氷で有名なオホーツク海の影響を受けた冷たい高気圧の間に挟まれ気圧の谷となる。気圧の高い所から低いところに空気は押し出されるので風となり、この谷で北からの風と南からの風が衝突し、行き場のなくなった空気は上昇する。空気は上昇すると冷やされるので、空気が湿っていると水滴となり雲ができ雨が降りやすくなる。その状態が乱されにくくなると気圧の谷は停滞するため雨が降り続く梅雨となる。

日本の場合、梅雨は6月から7月にかけての期間が旧暦の5月に相当する。なので梅雨の雨のことを五月雨(さみだれ)という。梅雨の長雨にも晴れ間がある。湿度が高く、成長期の植物の匂いがもあっと息苦しい、そんな日である。本来はそんな梅雨の晴れ間のことを「五月晴れ」という。

梅雨は嫌われがちであるが、私は四季の中で一番好きである。雨に打たれた紫陽花が見事に生き生きとしているからである。梅雨は私に幸せを運んでくる。

そして、五月晴れ“も”五月雨“も心を和ませてくれるとても美しい響きの言葉である。

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日本の紅葉

伝統工芸の世界においても日本の四季は貴重な題材のひとつである。

字で「狩」とは狩猟や採集を意味しており、「いちご狩り」「キノコ狩り」など、なじみ深い。ところが紅葉をただ鑑賞することも「紅葉狩り」という。その理由は、もともと山野に分け入って鑑賞することが「狩り」に例えられたとする説がある。

そもそも、日本における紅葉は山まで足を運んで鑑賞するものであったのを、平安時代以降に紅葉する樹木を庭などに植樹することで身近に紅葉が楽しめるようになったようだ。紅葉は、ただ艶やかで美しいだけでなく、寂しい冬へと向かう無常さと結びついて、精神的な琴線に影響を与えてきた。 

紅葉とは、寒さや乾燥など過酷な季節がある地域において、葉を落とすために起きる現象である。冬眠のように乗り切るようなものである。その時、葉は化学変化で植物の種類や時期によって色が変化する。昔より日本人が鑑賞してきたかえでなどは落葉広葉樹である。日本では、人為的な影響がない自然の状態ならば、落葉広葉樹は東北地方などの平野部や東日本以西の山間部を中心に分布する。人が多く住む西日本の平野部は常緑広葉樹のエリアである。そのため、紅葉は奥山か山間部にところどころに見られるだけであり、山まで足を運ばなければ鑑賞できないものであった。

日本の国土は南北に長く、気候条件が大きく異なる。これは、地球規模の気候変化が起きた時に、寒くなれば南に、温かくなれば北に、植物の多くは生息範囲を移動させることで生き延びることを可能とした。しかし、ヨーロッパや北米は今より気温が低かった氷河時代は氷河に覆われただけでなく、ヨーロッパでは東西に走るヨーロッパアルプスに阻まれて、南に避難することが出来ず多くの植物が絶滅した。そのため、日本に存在する現生の樹木は数百種になるのに対して、ヨーロッパは30種程度しか存在しない。したがって、日本の紅葉はヨーロッパや北米の紅葉に対して、樹木が多様なので、微妙な色合いの違いが生じる。

しかし、ヨーロッパや北米は今より気温が低かった氷河時代は氷河に覆われただけでなく、ヨーロッパでは東西に走るヨーロッパアルプスに阻まれて、南に避難することが出来ず多くの植物が絶滅した。そのため、日本に存在する現生の樹木は数百種になるのに対して、ヨーロッパは30種程度しか存在しない。したがって、日本の紅葉はヨーロッパや北米の紅葉に対して、樹木が多様なので、微妙な色合いの違いが生じる。

日本の紅葉狩りは、この多様な色彩のパッチワークを鑑賞するのである。庭園は、それを人工的な構造物や石、紅葉した木々の日々変化も考えて配置されているのである。

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日本文化と昆虫

「静かさや岩にしみいるセミの声」とは世界で最も短い詩といわれる日本の俳句を確立させた松尾芭蕉の有名な一句である。夏の強い日差し、そして影、無数の蝉の声が織りなす蝉しぐれ、日本の夏を代表する光景である。

午前中の日差しが強い時間には「みーんみーん」と啼きだすミンミンゼミ、夕方には「カナカナカナ」と物悲しくなるヒグラシ、そして晩秋にはツクツクボウシが「つくつくぼーし、すいちょーん」とひときわ目立つ声を響かせる。蝉の声は夏の光量と結びつき、日本人の季節や時間のイメージと結びつく。 

日本語を母国語としている人は虫の声を脳の言語中枢で聞くという研究がある。虫の声は母音を中心とする日本語を聞くのと同じように認識されるらしい。

秋の夜の虫の音は夏のセミ以上に日本人の文化に深く入り混んでいる。古くは奈良時代の和歌に詠まれ、平安時代には貴族の間では野山で捕まえて庭に虫を放ち、その声を聴くことが流行ったらしい。虫の音を聞く文化は江戸時代に庶民にまで浸透し、昭和の中期まで啼く虫をかごに入れて売る業者がたくさん存在した。

秋の虫の音を聞く文化は中国にも存在するようだ。中国では虫の音を聞くよりコオロギを戦わせる「闘蟋(とうしつ)」が唐の時代から博打と結びついて大変盛んで、強いコオロギを育てるための方法を宋の宰相が記すなど、今でも一匹一匹を大切に育てられている。

この文化は日本では流行らず、日本ではもっぱら虫の音を聞くことが庶民にも広がっていった。

中国の虫の文化と日本とで大きく異なる点が虫かごである。中国では闘うコオロギなどを、密封したヒョウタンなどに入れて持ち運び、その瓢箪に装飾を施したり、虫を入れる小さな竹細工の虫かごを作ったりしたが、日本の虫かごは竹で作られた比較的大きな虫かごになる。なかでも蒔絵を施した豪華な虫かごも存在する。江戸時代全国の領主が首都江戸に一年ごとに詰める参勤交代という制度があり、西日本の領主の通り道にあった静岡県の駿河竹千筋細工などは大名に愛好され、竹工品の伝統工芸として精巧な竹の虫かごをみることができる。

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仲秋の明月

東アジアの暦は中国の影響を受けて太陰太陽暦が使われてきた。日本では明治5年にグレゴリオ暦に変更されたため、太陰太陽暦を「旧暦」と称し、今ではほとんど旧暦を意識することは無いが、年中行事の中には残っていることがある。その一つが旧暦の8月15日である。

この日は東アジア各地で祖先崇拝や収穫祭などの意味をも含みながら、月を鑑賞する風習がある。中国では中秋節といい月餅を食べる習わしがあるが、日本では「仲秋の名月」とよび、ススキを飾り、団子をお供えするのが江戸時代後期に定着した風習である。旧暦の8月15日はグレゴリオ暦の9月から10月にあたる満月の日である。このころの日本は台風や秋雨の時期に重なるので天気に恵まれない日も多いが、晴れると澄んだ空気に包まれ月の光は透明感のある空気にしみとおる。

すすきは秋の七草のひとつで、イネ科の植物で草原に生えている。萱ともよばれ、茅葺屋根の材料としても使われる身近な植物であった。そのため、茅場というススキを調達するために管理された草原も存在した。すすきは秋になると光沢のある銀色の穂をつける。埋め尽くす草原のススキが満月の月明かりに照らされて、風に揺れる様はとても幻想的で、現在も大きな川の河原などでそれに似た光景が見られることがある。

月見の風習が日本に入ってきたのは平安時代初期と言われる。平安貴族は月を見上げるだけでなく、池や酒杯の水面に映った月を愛で和歌などを読むなどをした。このころの京都では西の空はまだ日没の余韻を残す中、東の山から、18時過ぎに月が昇りだし、夜半にかけて高くなる。したがって、水域の西側からの鑑賞するのが美しい。古くより観月の名所とされる嵯峨御所である大覚寺の大沢池などならば、水面に映る名月と山の影がコントラスト強く池に映るさまは、さぞきれいだったと思われる。

スケールを大きくすると日本最大の湖である琵琶湖の西岸に位置し世界最古の小説とされる「源氏物語」を紫式部が起筆した場所と伝えられる滋賀県の石山寺からの名月を描いたのが、歌川広重の「石山秋月」である。石山寺も大覚寺も今でも観月祭(仲秋の名月を愛でる催し)の有名な場所である。

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