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    カルチャージャーニー

    • 3月 06, 2021 日本の紅葉

      伝統工芸の世界においても日本の四季は貴重な題材のひとつである。

      字で「狩」とは狩猟や採集を意味しており、「いちご狩り」「キノコ狩り」など、なじみ深い。ところが紅葉をただ鑑賞することも「紅葉狩り」という。その理由は、もともと山野に分け入って鑑賞することが「狩り」に例えられたとする説がある。

      そもそも、日本における紅葉は山まで足を運んで鑑賞するものであったのを、平安時代以降に紅葉する樹木を庭などに植樹することで身近に紅葉が楽しめるようになったようだ。紅葉は、ただ艶やかで美しいだけでなく、寂しい冬へと向かう無常さと結びついて、精神的な琴線に影響を与えてきた。 

       

      紅葉とは、寒さや乾燥など過酷な季節がある地域において、葉を落とすために起きる現象である。冬眠のように乗り切るようなものである。その時、葉は化学変化で植物の種類や時期によって色が変化する。昔より日本人が鑑賞してきたかえでなどは落葉広葉樹である。日本では、人為的な影響がない自然の状態ならば、落葉広葉樹は東北地方などの平野部や東日本以西の山間部を中心に分布する。人が多く住む西日本の平野部は常緑広葉樹のエリアである。そのため、紅葉は奥山か山間部にところどころに見られるだけであり、山まで足を運ばなければ鑑賞できないものであった。

      日本の国土は南北に長く、気候条件が大きく異なる。これは、地球規模の気候変化が起きた時に、寒くなれば南に、温かくなれば北に、植物の多くは生息範囲を移動させることで生き延びることを可能とした。しかし、ヨーロッパや北米は今より気温が低かった氷河時代は氷河に覆われただけでなく、ヨーロッパでは東西に走るヨーロッパアルプスに阻まれて、南に避難することが出来ず多くの植物が絶滅した。そのため、日本に存在する現生の樹木は数百種になるのに対して、ヨーロッパは30種程度しか存在しない。したがって、日本の紅葉はヨーロッパや北米の紅葉に対して、樹木が多様なので、微妙な色合いの違いが生じる。

      しかし、ヨーロッパや北米は今より気温が低かった氷河時代は氷河に覆われただけでなく、ヨーロッパでは東西に走るヨーロッパアルプスに阻まれて、南に避難することが出来ず多くの植物が絶滅した。そのため、日本に存在する現生の樹木は数百種になるのに対して、ヨーロッパは30種程度しか存在しない。したがって、日本の紅葉はヨーロッパや北米の紅葉に対して、樹木が多様なので、微妙な色合いの違いが生じる。

      日本の紅葉狩りは、この多様な色彩のパッチワークを鑑賞するのである。庭園は、それを人工的な構造物や石、紅葉した木々の日々変化も考えて配置されているのである。

      次号もご期待ください。

      Written by Yoshimi Matsuta

    • 3月 06, 2021 日本の文化と昆虫

      「静かさや岩にしみいるセミの声」とは世界で最も短い詩といわれる日本の俳句を確立させた松尾芭蕉の有名な一句である。夏の強い日差し、そして影、無数の蝉の声が織りなす蝉しぐれ、日本の夏を代表する光景である。

      午前中の日差しが強い時間には「みーんみーん」と啼きだすミンミンゼミ、夕方には「カナカナカナ」と物悲しくなるヒグラシ、そして晩秋にはツクツクボウシが「つくつくぼーし、すいちょーん」とひときわ目立つ声を響かせる。蝉の声は夏の光量と結びつき、日本人の季節や時間のイメージと結びつく。 

      日本語を母国語としている人は虫の声を脳の言語中枢で聞くという研究がある。虫の声は母音を中心とする日本語を聞くのと同じように認識されるらしい。

      秋の夜の虫の音は夏のセミ以上に日本人の文化に深く入り混んでいる。古くは奈良時代の和歌に詠まれ、平安時代には貴族の間では野山で捕まえて庭に虫を放ち、その声を聴くことが流行ったらしい。虫の音を聞く文化は江戸時代に庶民にまで浸透し、昭和の中期まで啼く虫をかごに入れて売る業者がたくさん存在した。

      秋の虫の音を聞く文化は中国にも存在するようだ。中国では虫の音を聞くよりコオロギを戦わせる「闘蟋(とうしつ)」が唐の時代から博打と結びついて大変盛んで、強いコオロギを育てるための方法を宋の宰相が記すなど、今でも一匹一匹を大切に育てられている。

      この文化は日本では流行らず、日本ではもっぱら虫の音を聞くことが庶民にも広がっていった。

      中国の虫の文化と日本とで大きく異なる点が虫かごである。中国では闘うコオロギなどを、密封したヒョウタンなどに入れて持ち運び、その瓢箪に装飾を施したり、虫を入れる小さな竹細工の虫かごを作ったりしたが、日本の虫かごは竹で作られた比較的大きな虫かごになる。なかでも蒔絵を施した豪華な虫かごも存在する。江戸時代全国の領主が首都江戸に一年ごとに詰める参勤交代という制度があり、西日本の領主の通り道にあった静岡県の駿河竹千筋細工などは大名に愛好され、竹工品の伝統工芸として精巧な竹の虫かごをみることができる。

      次号もご期待ください。

      Written by Yoshimi Matsuta

       

       

    • 3月 06, 2021 仲秋の明月

      東アジアの暦は中国の影響を受けて太陰太陽暦が使われてきた。日本では明治5年にグレゴリオ暦に変更されたため、太陰太陽暦を「旧暦」と称し、今ではほとんど旧暦を意識することは無いが、年中行事の中には残っていることがある。その一つが旧暦の8月15日である。

      この日は東アジア各地で祖先崇拝や収穫祭などの意味をも含みながら、月を鑑賞する風習がある。中国では中秋節といい月餅を食べる習わしがあるが、日本では「仲秋の名月」とよび、ススキを飾り、団子をお供えするのが江戸時代後期に定着した風習である。旧暦の8月15日はグレゴリオ暦の9月から10月にあたる満月の日である。このころの日本は台風や秋雨の時期に重なるので天気に恵まれない日も多いが、晴れると澄んだ空気に包まれ月の光は透明感のある空気にしみとおる。

      すすきは秋の七草のひとつで、イネ科の植物で草原に生えている。萱ともよばれ、茅葺屋根の材料としても使われる身近な植物であった。そのため、茅場というススキを調達するために管理された草原も存在した。すすきは秋になると光沢のある銀色の穂をつける。埋め尽くす草原のススキが満月の月明かりに照らされて、風に揺れる様はとても幻想的で、現在も大きな川の河原などでそれに似た光景が見られることがある。

      月見の風習が日本に入ってきたのは平安時代初期と言われる。平安貴族は月を見上げるだけでなく、池や酒杯の水面に映った月を愛で和歌などを読むなどをした。このころの京都では西の空はまだ日没の余韻を残す中、東の山から、18時過ぎに月が昇りだし、夜半にかけて高くなる。したがって、水域の西側からの鑑賞するのが美しい。古くより観月の名所とされる嵯峨御所である大覚寺の大沢池などならば、水面に映る名月と山の影がコントラスト強く池に映るさまは、さぞきれいだったと思われる。

      スケールを大きくすると日本最大の湖である琵琶湖の西岸に位置し世界最古の小説とされる「源氏物語」を紫式部が起筆した場所と伝えられる滋賀県の石山寺からの名月を描いたのが、歌川広重の「石山秋月」である。石山寺も大覚寺も今でも観月祭(仲秋の名月を愛でる催し)の有名な場所である。

      次号もご期待ください。

      Written by Yoshimi Matsuta